少し前までは「作品」とされる写真はモノクロフィルムでプリントを作り込んだものでないと認められないという風潮が世の中にはあった。今でこそ過去の話になっているが、モノクロ写真のもつ芸術性は今もなおずっと感じられているのは事実だろう。かくいう私もモノクロの写真に魅了され続けてきた一人で、ほとんどの写真をモノクロで撮影してきた。
モノクロ写真についてあれこれ考えているとたどり着いたのが、「モノクロとは誰にでも平等な視覚世界なのではないか」ということだ。人間が物質を知覚しているのは、物質に光が当たって影が出来ることで「形」を認識し、光の反射によって「色」を認識しているからである。しかし「色」の認識に関して人間には「個人差」が発生してしまう。色盲と呼ばれるのは分かりやすい例だが、細かい色をどこまで判別できるかという能力には個人差があるし、突き詰めれば視力によって色の感じ方も変わったりする(視力が低い人はコントラストが下がる)。
モニターによって色が変わるのと同じで、実は人によって見えている世界は微妙に違うのである。色のない世界で表現するモノクロ写真とは、誰にでも平等な視界を提供する、世界をフラットに見る為の手段なのかもしれない。
そう考えると元々世界には沢山の色があるわけで、日本語では白黒写真などと言われるが実際世界から色を抜くとはっきり白と黒になる部分は少なく画面のほとんどがグレーになる。なのでモノクロ写真はこのグレーをいかにコントロールするかが重要となる。
世界から色を抜き、グレーの濃淡だけで見たフラットな世界、それがモノクロ写真なのである。